人は流れていく

あの日歌った歌のコトバは
消え去っていってしまった

ただ
卑屈に走るラットレースを
走り行くもののみが
残って
ひっそり栄華を誇るのだろうか

人は流れていく

分かれても
また会えたらいいと思いつつ
and rest is silence...

limacization

2007年6月13日 in the life
野良猫が
花を見つめていた

ふと見つめていると
つぶらな眼で見つめ返した

忌憚のない表情
あどけない

かしこまって
そ知らぬ振りして
花見に興ずる

野良なんだろう
けど
私が纏っている
薄汚れた服よりも
凛とした模様で
気品が漂っていて
ただ
何かを講ずるように
ふとふと
首をかしげている

私は部屋に戻り
そんな綺麗で
気品ある猫より
みすぼらしい自分に
少しへこんでみた

風呂場には
この季節のせいか
なめくじがいた
みすぼらしい私に
似合っているんだろうか

カタツムリと同じ種族
つの出せ
やり出せ
懐かしいフレーズを思い出しながら
ずっと見つめた

背中に見える
パールのような模様
ふと
なんとなく気になって
彼らのことを調べた

なめくじ
貝の仲間
カタツムリが
貝殻をなくした方向に
進化していった生き物

大きな貝殻があると
身動きが難しいから
それを体の中に
収めていった
究極の形なのだとか

そうか
私も
何も重装備固めて
毎日を生きていかなくても
いいのかもしれない

身なりを立派に
着飾って
バッグやら
かばんやら
仕事道具で
身動き出来なくなるより

野良でも
気品あって
凛としているほうがいい

自分を守るため
身を固めて
そのもののために何かを犠牲にして
生きていかなくてもいい

大きくなることだけが
進歩じゃなくて
多少見苦しくても
何かを選んで生きていけるなら
それは幸せなのかもしれない

野に放たれていても凛として
見苦しくても身軽に
生きていけるならなあ

重苦しいものに
体も心も自由を奪われている姿を見て
ナメクジは
きっと
大変なんだなあって
呟いていたんだろう
現代の徳政令は終戦と言う形で日本にもたらされた
完全に破壊しつくされたように見えた日本には
無形の技術や教育による素養を持ち
そして
打ち砕かれた信念の後に残った
絶望の後に現れた無垢の希望にしがみつく
人々が溢れていた

彼らは悲しみと絶望
そして多くの犠牲への償いの気持ちをパワーに変えて
懸命に生き延びた

彼らの要求水準は高くなく
食べられて
働けて
少し楽しみがあれば十分だった
質素でつましやかだった
贅沢を知らずに生きた

ただ
ひたすら毎日を生きるための基本を
実践して生きていた

ほかにも幸運な状況が
いくつもあった

そして
アジアの奇跡と呼ばれるまでに
敗戦から立ち直ることができた

そんな状況では
仕事はすべて何らかの意義を持ち
続けることが大切で
そこから得ていった何かに
みなプライドを持てた
さらに
年功序列を維持できる経済的
人口学的背景などが
それらを後押しした

しかし
時代は変わった

人々は贅沢しか知らなくなった
日々の基本を実践しなくても
他人に依存して生きていけるようになった
年功序列は崩れた
家庭像は崩れた
教育の意味が変質した
成功の指標が異なってきた
変わらないものはたくさんあるが
それを細かい部分から大きく変えるものが増えてきた

何よりも
知らなくても良いことまで
ずいぶんと知ることができるようになった

知識や情報が増えることはいいことだ
だが
適度な知識や情報を選んで使わなければ
我々はただ知るということだけを追っかけて
人生を費やしてしまうことになるかもしれない

我々は知ってしまった
金銭的成功を収めるための代償と
社会的成功を収めるための欺瞞を
外的権力を得るための内的高慢と
内的安寧を保つための外部犠牲を

持つものが増やすことができ
持たざるものは奪われていく

頑迷な口達者が正しいとも正しくないとも分からない理屈で
多くのものを導くが
正直な口下手は割りと正しい理屈を考えてはいるけれど
多くのものはその言葉に耳を貸さない

多分
これから
今まで培ってきた
見えなかったものがどんどんと失われていく

それは
自分たちの選択でもあるし
歴史の選択でもあるのだろう

今まで見えないところで守られてきた
たくさんの維持活動が
薄給と高齢化と
テクニカルマニュアルに反映されない
暗黙の知恵の喪失によって
ずたずたに寸断される

電気
水道
ガス
交通
工場
製品
作法
清潔

すでに
我々はそれがおきているのを
ずいぶんと前から
まったく連想もつかないところから見てきている

それは
家庭の崩壊だ

家庭という最大の社会基盤を
我々は蔑ろにして長い
何かに置き換えようとしてきた
しかし
何かに置き換えることが出来ただろうか

必ずしも昔の家庭が
万能だったとは言えない
それに
農村と漁村と山村の家庭の姿は
それぞれ異なっていて
一概にどの姿が良いとも言えない

ただ
私が考えるのは
小さな社会基盤の欠損が
やがて大きな社会基盤の欠損につながるのではないかという
かなりあやふやだが
大きな懸念

そして
それに私は何が出来るのだろうかという問いかけ

それにしても
基本的なことを体で覚える前に
私はずいぶん年をとってしまったように思う
あまりにも無駄な議論
活発な会話
構築される論理
矛盾だらけの体系

概念を絵に描いて
ただそれに合わせて
スペシャリストの知識構造を崩す
詭弁はまだ死んではいない

人間の言葉や概念は
まだ完全には発達していない
不完全な言葉の連鎖を操る
あなたは最低の知性の塊

ただ己の巧言令色を
正義と信じて
振り返ることもなく突き進み
幾人もの脳細胞の返り血を浴びれば

きっとあなたは
21世紀の知的欺瞞の独裁者
21世紀最大の知的欺瞞の独裁者
21世紀最高の知的欺瞞の独裁者

そして私はその軍師たり
過去の選挙に関する data storageを漁ってみた(けどマイナーなものが主)。郵政の現状とか、あるべき姿を提示している割とまともと思われる記事など読んでみる。少なくとも

* 郵政にしろ何にしろ、現在日本の財政は借金に借金を
  重ねる構造になっている。

ということは確からしいと確認。
ただ、それが将来どのような生活に自分自身を追い込むかなんて想像がつかない。

その記事などの論調によると、郵政民営化は

A 結局看板だけ挿げ替えた「民営化」に過ぎないので
  郵政は本当の民営化にはならない
B 郵政が民営化されると、郵貯などの資金に外資が群がり
  国民が貯めた貯蓄をハゲタカされる
と考えたり、予想されるのが妥当らしい。

しかし、上の論調を読むと、矛盾を感じる。

Aでは、「郵政のお金の流れは最悪で、株式会社にしても、その株を誰も買わないだろう」と言っている。
Bでは、「郵政にある貯蓄などの資金や利権を獲得する、M&Aや外資が乗り込んでくる」と言っている。
両方とも、間違いではないと思われる。
郵政にバランスシートをつけさせたら、むちゃくちゃだろう。国などに貸し出していて、それを返してもらっていない(返してもらっていても、それを帳消しにするぐらいさらに貸し出している)。だから、そんなお金垂れ流しの会社が出来ても、どこも怖くて手が出せないという(しかし、実際に株式会社化されて株式が公開されるなら、フツーに高い値段で売買されると思うけど。NTT株やJR株が公開されるのと同じノリ)。
しかし、もし株式会社化され、本当の意味で「民営化」されるのなら、外資はどんなにお金の流れが悪くても手を出してくるだろう。よっぽど政府が(世界的には)無茶苦茶なルールを持ち出してこない限り、”債権”を民営化された郵政の会社は持つことになり、それを回収する権利を株主は主張することができる(経営方針に介入することが可能になる)。
「外資」が、国をつぶすまで徹底的な行動に出るのか。
出る。というか、タイのバーツ危機は、ヘッジファンダーが引き起こした(とされているし、私もそう信じている)。そのバーツ危機のため、タイはその後経済的苦境に立たされた(今は復活しているのだろうか)。
ニッポン放送の株式取得に関する騒動と、余り変わらないことだと思う。

郵政が民営化される。株式会社化される。
外資が株を大量に購入する。株主として持つ主張する権利を行使して、株主に有利な方向に、経営方針を誘導する。それが、日本国民にとって有利かどうかは別の話である(もし、あからさまに不利だと受け取られる状況にはしないだろう。上手に様々な状況を作り出して、それが当然となるように仕向ける)。
マスコミの論調に、お利口に従う日本国民の気質などを利用して、様々な理由、例えば医療や福祉などに絡めて、郵貯は巧妙に搾取されるかもしれない。あるいは、郵貯を守るためという意味で、政府が様々な公共のための歳出を抑え、郵貯にお金を回すということが起きるかもしれない(銀行に公的資金を注入したように)。
民営化された郵政に、外資系の役員が残り、正職員は上手に削減され(自然退職や、コスト削減のための自主退職募るなど)、バイトや外注に回され、収益効率の良い部分を日本国民は享受できなくなるかもしれない。

ちょっと論点がずれてくるけれど、そういう風潮が強まって、日本の大きな経済的弱点がつかまれて、日本国民が担うのは、生活の安定が望めないバイトや派遣社員となっていき、それは構造的に作り上げられていくものとなる。
もしかしたら、それは「ワークシェアリングのため」などという、なんとなく社会貢献に役立つような/まるで改革のための新しいシステムの導入のようなスローガンを以って導入されるかも知れない。気が付けば、多くの国民は低賃金で付加価値の低い業務を担うことになり、最低限の生活(あるいはこれまでに築いてきた生活)を守るために複数の職を並行して持つようになる。労働基準法なども適応できなくなり、重労働ではないにしても長時間労働を強いられることになるかもしれない。

とはいえ、反面、利権を守るために必要とされる一部の国民は、割と優雅な生活をエンジョイし続けているだろう。今、数億円のマンションがすぐ完売するように、どこかにお金が集中していく流れとなる。
しかし、それは全体をその一部の人たちが享受しているのではなく、もっと大きく収益を上げている一部の人たちにとってその人たちが働いているのが都合が良いので、そのようにしているだけなのかもしれない。

などと極端に考えると、自分でもなんか気詰まりなぐらい怖い話になってきた(オカルトの域に入ってきている)。

でも、それが自分にとって何なのだろう。

私たちの祖父・祖母たちの時代、あの気の優しい祖先たちは第二次世界大戦をどうこうする知識も力も蓄えも持たず、ただ、戦争に従事していた。もし、祖父や祖母が戦争に声高に反対し、もし万が一その地域で反対運動を続けていたとして、果たして私は生まれることが出来たのだろうか。極普通の一般市民が、そのような判断を下すことがそもそも可能だったのだろうか。インターネットも、テレビさえもなかった時代。ラジオがまともに機能していたかどうかも怪しい時代。
私たちの時代、果たしてどの程度の一般市民が、これだけ細かく複雑にいろいろな状況が絡み合って成立している社会に対して、何がどう正しくて、どう正しくないのか(殺人が良いかどうかという根源的なレベルではない)判断ができるというのだろうか。

ただ、私が引き続き強く思うのは

・郵政はどんな形であれ、今の形を崩すべきである
・そして、その結果、自分を含む多くの人たちが怒りや悲しみ、
 つまり”痛み”に直面することになるだろう
・その後のことは、個人的にどう対処しようが、大きな流れに
 よって決まることなので従うしかない
・少なくとも今と同じ状況(政治・経済など社会トレンド?)が
 続いて、20年後の日本が住み心地の良い国になっているとは
 思えない

ということである。

もしかしたら、最後の問題と考えている部分は、外資が入ってきて、日本の財政状況に何らかのインパクトを与えることが影響して改善されるのかもしれないなどと思いつつ。。。
多くの人が予想していた通り
自民党が圧勝で進行している
最近政治関係のニュースを読んでいないこともあるのだが
今回の自民党圧勝がどのようなインパクトを歴史にもたらすのか
皆目見当がつかない

経済的な影響はどうなのか
政権が安定するという見通しで考えれば
海外からの投資は増大するので株価は上昇するだろう
ただ
民主党の後退による民主主義の衰退という論調が強くなれば
株価は下降するかもしれない
選挙前までの株価の上昇が
選挙後の下落を盛り込んだものであるならば
相場そのものが持つ性質がその動向を
選挙に関係なく規定している可能性もあるだろう

経済的な問題よりも
政治的な問題はどうだろう
郵政民営化は
これでほぼ100%成立に向うのだろうか

自民党という政治団体の枠組みを通して考えると
今回小泉首相が進めてきた改革路線を全面に押し出した
戦略をひっくり返そうという動きは出しにくいだろう
大多数の党員が郵政民営化に賛同し
郵政民営化は決まると考えるのが最もリーズナブルと思われる

ところで郵政民営化の問題はあるが
現在日本が抱えている他の問題に対する対策などは
どのように進んでいくのだろう
自民党の圧勝により
ほぼ今後は自民党がかなり有利に政治を展開していくのだろう
※参議院の状況は覚えていないので割愛。
弱体化した民主党ほか野党
社会党が弱体化して衰退していくのと同じように
民主党も衰退していくのだろうか
そもそも自民党とあまり代わり映えのない民主党
もしかしたら自民党に移る議員など出てきてもおかしくないのか
これまでの経緯など詳しくないのでなんともいえないが
もしそのような動きが加速していくと
日本はほぼ一党独裁に等しい状況になる

さて
そうなってきて
特に日米関係が揺らいでくるとは考えにくいが
最近はアジア関係の外交を
あまり適当に行っているとはいえない日本が
今後もアジア近隣との外交を不味くしていくと
その政治方針を維持している政党が強力である状況を
アジアの近隣諸国は好ましいとは考えないだろう

ちょっと最近政治関係のお勉強をサボっていたので
なんともおぼつかない考察になっているが

1.郵政民営化は法案の内容がどうなるかは不透明だが
  成立して、民営化の方向に進むだろう
2.日本は一党独裁のニュアンスを持つ政治の状況に
  なるのだろう
*.上記の結果がどんな影響を及ぼすのかは推測不可能

さて今回の選挙は注目を浴びて投票率は伸びたといわれる。
その予測値は、7ポイント。
すなわち有権者全体の7%である。
100人の村があって、65人強が投票した。
前回より7人増えた。30人強は投票しなかった。

投票しなかった人たちは
一体どんな人たちなのだろうか
また逆を考えて
投票した人たちは
一体どんな人たちなのだろうか

幾分かでも
自分の意志を持って
「この人に、そしてこの政党に投票すれば
 私(たち)の生活はもっと良くなる」
と信じて投票した人が
多いことを祈る

しかし
おそらく
何の意見も持たず名前とマスコミの情報に引かれて投票した人
選挙なんて投票しても何も変わらないよと投票しなかった人
職場や親族やそういうシガラミで乗り気でないのに投票した人
そういう人も多くいたのではないだろうか

私も
投票の際
大変困った
郵政民営化は推し進めてほしいと考えていたが
自民党が圧倒的に勝つ状況はバランスが良くないと考えた
民主党が郵政民営化を完全に反対しているとは思わなかったが
一体どこに投票すれば
自分のナットクのいく候補と政党に賛成を表明できるのか
訳が分からなくなった

頭の中でぶつくさ言いながら
用意してある鉛筆で
妥協とも何んとも言えない答えを書いた

そして
その一票は
ただ単に死に票になることを実感しながら
なんともやるせない気持ちで投票所を後にした
(比例区票は生きるかもしれないが)

ともかく
選挙をしても
あと20年弱後訪れる
団塊の世代が多くお亡くなりになる時代
その次の団塊の世代が働き盛りでなくなる時代に
日本は世界の老々世帯として
ただ過去の栄光を懐かしむような国になるのだろうかと思う

そのとき
日本と日本を取り巻く周辺に
何が起きているのだろう
多くの人たちが穏やかに過ごしていれば良いと願いつつ・・・
私の母方の家系の出自
それが
 
か み う け なぐ ん お も ご む ら
 上   浮 穴  郡   面  河  村

県庁所在地の市より
車で1時間と半分
くねった山道を行き
山の森の中
深く
深く
人が
ずっと息づいてきた
村・・・

せせらぎが流れ
豊かな湧き水を利用し
畑と
田圃で
大地の恵みを受け

山の木々を
山とともにはぐくみ
森を
林を育て
その恵みを受けてきた

せせらぎには
嘗て豊かに
川魚が生きていた
・・・今は護岸工事のため
彼らの姿を見ることはあまりない

嘗ては
養蚕をしてもいた
蚕さんの繭から取れる
良質の絹で
厳しい冬に
山間の屋敷で
機を織っていたという

106歳にして
天寿を全うした曾祖母
その子供たちは
みなやがて80を迎えようとしている
そして
その子供たちは
山の村にはいない

曾祖母は
最後の別れのときに
初めて玄孫を見た
物心つかない玄孫は
お棺の中の小さな老女を見て
「ば、ちゃ・・・ん?」
とつぶやいた

今思い返してみれば
不思議に思う

玄孫は
物心つかなくて
久しぶりに会った叔父に
人見知りをしていたのに

母親
祖母が
「ばあちゃんだよ」
と教えると
人見知りすることもなく
「ばあちゃん」と
発語し
「ばいばい」と
別れを告げた

流れている血が
母親の
母親の
その母親であることを
告げていたかのように

私が
生前の曾祖母と
最後にであった光景は
忘れられない

曲がった腰で
畑仕事をしていた
曾祖母が振り返って
私を
あどけない笑顔で眺めていた
母と
叔父たちが
曾孫であることを告げたとき
曾祖母は
涙を流し
「ありがたい・・・ありがたい・・・」
と手を合わせた

その姿に
戸惑った私だが
ただ
「しっかり
 長生きしてくださいね」
というようなことを
笑顔で伝えたように覚えている

あの光景から
私は
古語における「かなしい」が「愛おしい」であることを
直観的に知り
また
曾祖母が見てきた時代というものに対して
漠然とした興味をもち始め
それを手がかりに
100年前に生きてきた人たちの生き様など
考える機会を持つようになった

そして
その思考は
私が抱いていた幻想を
悪い意味でも
良い意味でも
打ち砕いてくれた

寂しく
仕事は厳しい
山の生活

でも
今の都市の生活と比べ
どちらが
もっと厳しいのだろう


山の村は廃れようとしている
曾祖母は目を閉じ
やがて
祖母や祖父も目を閉じるだろう
私の母は
山の生活には戻れないだろう

やがて
嘗て我が一族が息づいて
育まれてきた集落が
少しずつ
眠りについていく

やがて
一人立ち去り
一人目を閉じ
一人眠りにつき
すべてが閉じてしまう

私は
時折
あの山の元で
永い眠りに付くことに
最近憬れている

一人立ち去り
一人目を閉じ
一人眠りにつき
すべてが閉じてしまう前に
線路に自転車が置かれるなどの事件が
あきらかに多発している。

オーバーランの記事が増えたことで
オーバーランという現象が以前より増加したかどうかは
明らかではない

以前書いた。



自転車などが置かれて
衝突事故が増えた
という
ここ数日の2件のニュースは
ほぼ間違いなく人為的に増加した現象を
指し示していると思われる。

オーバーランの記事を読んでも
マスコミのセンセーショナリズム程度の問題であるとしか
あまり考えなかった



置石の増加に始まり
自転車設置(明らかに設置である)
不審人物の進入
そのような通報
これは
今現在日本における
無差別傷害・殺害のリスクを抱えた”異常”な
人たちが潜在しているという問題を提示していると思われ

はっきり言って
ここ最近の鉄道関係のニュースを聞いて
最も薄ら寒く感じた・・・

これまでの考察を列車事故に当てはめて考えると

多くの人たちは
例の脱線(転覆)事故を契機に

「JR(西日本)の職員は”異常”かも知れない※」
※”かも知れない””なのでひどい””に違いない”と
 人により程度は異なる


まず
直観的に認識したのであろう

次に
マスコミは
他のオーバーランや
細かいミスや
関連職員の”事故が起きているのに、ありえない!”
”非常識だ!”というニュースをあら捜しし
より
「JR職員ってひどいよね」

助長した

そのうち
過酷な運転手の罰則規定の状態
(それが本当に”過酷”かどうかは別として)
安全に関する投資が不十分だという報告
(最新のブレーキシステムではなかったこと)
そういう
より
細かい視点からの報道が増えてきた

この時点で
すでにマスコミの一面記事や
社会面の話題は
別のものが主流となってきている

つまり
多くの人には目に触れない状況となってくる

ところで
もし
「JR関係者がひどいから事故が起きる」
という認識が主流であるならば

「他者に対して不利益を生じさせたい」という欲求を
自然状態の平均値より大きく持つ”異常”者は
それを利用して
自らの罪を他にかぶせて
その欲求を満たそうと考えるかもしれない

あるいは
潜在的に強烈な
「他者に対して不利益を生じさせたい」という欲求を
持つものは
事故の悲惨な報道を見て
「なるほど、ああやって電車を脱線させれば
 自分の欲求を満たすことができるかもしれない」と
考えるかもしれない

***** *****

置石や
脱線を意図した悪意ある行為
これが本当に原因で事故はまだ起きていない点は
幸運である

もし
上記の行為により
再び脱線事故が起きていたならば

マスコミの報道により
それは助長させられた可能性がある


この考察では結論付ける

***** *****

速度超過は
JR西日本の営業活動において
きわめて「自然」におきていた現象と考える

人間が組織的にある目的を達成するため
作り上げた組織と
その中に包括的に統合された複数の意識の集合体が
明文化された規則を暗黙のうちに
破ることを良しとした

つまり
全体で
速度超過による経営方針への遵守が
全体にとって利益であるという概念を
「組織として」学習したのである

「規則を多くの人間が破っているという」状況は
多数の死者・負傷者を生じさせる事故があったため
多くの(しかも外部も含む)人間が
”不利益を生じる”と認識したために
ここで初めて
「異常」(多くの人間に不利益を生じさせる可能性が極めて高い)と認識された

繰り返す

異常(と多くの人間が認識しているもの)は
不利益のリスク認識が高まって初めて強く表出される

利益は
おそらく多くのものについて何らかの制約条件で
トレードオフ関係にある
(ここでは、「経済面」と「安全面」のこと)

異常があることも
利益をマネジメントする際トレードオフ関係が発生することも
「自然」なのである

そして
事故が発生し
マスコミが事故を起こした責任主体を非難したことも
そのマスコミの報道を受けて
多くの人たちが責任主体にリスク(異常さ)を認識したことも
そもそも”普通に”存在している人たちのうち
いくらかの人たちがその報道を受けて
事故に関連した他者に不利益を生じさせるような現象を
生起させる行動を起こしたことも

緻密に考えれば

ごく「自然」に起きているのである

***** *****

しかし、私は
現代日本を取り巻く状況が
”異常”だと
”感じる”ことは多い

そのことは
また
ゆっくりと考えることにしよう・・・
眠れないので続けてみる。

***

ふと思い出す。
「ブラックジャックによろしく」
精神病棟編。

精神病院に入院した履歴のある人間が
学校に闖入し、小学生を無差別に殺害、負傷させる
現実にあった事件をモデルにしたプロットを思い出す。

そこで、「精神病」に対する世間の偏見を変えようと闘う
新聞記者が、次のようなせりふを言うシーンがある。

 日本人全体の中で・・・
 精神障害者と言われる人は人口の1.7%います・・・
 しかし警察に捕まった犯罪者のうち・・・
 精神障害者は0.6%しかいません・・・

 精神障害者は障害のない人間と比べて・・・
 犯罪を起こす確率が低いんですよ・・・

上の議論は、
「精神障害者は、犯罪を起こしやすい」という
よくある認識を理論的に覆すために用いられるロジックである
しかしながら、
全体における精神に障害を持ったと意志が判断した者の割合と
警察に捕まった犯罪者全体における精神障害者の割合を
単純に比較して論じることは
「精神障害者は、犯罪を起こしやすい」という先入観よりは
まだ論理的アプローチを用いようとしている点で理性的だが
厳密に考えると、議論の余地はいくらでもある

さて
もし、人間が持つ「精神」と考えられている機能について
厳密には無理なので、ゆるく考えてみる
(ニューロン活動や刺激伝導のための化学物質ががどのように振る舞い、それに対して普遍的に人間機構はいかに振舞うのかなんてまだ正確にはわかっていないからである)

精神的な「正常」「異常」を
正規分布のようなモデルで決めることを考えてみる
(器質的障害、つまり脳の一部が破壊されているといったケースはここでは考えないこととする)

精神活動は、脳の活動だけで定義されるものではない。
外的因子、例えば自分が置かれている環境条件などによっても左右される。だから、頭が大きいとか、テストで点が取れるとか、言葉が上手だとか、そういった一概に決定できるものではない。
↑話が混乱気味ではあるが・・・

しかし、一つ「軸」として考えられる側面を思いつく

活動性・・・(これも曖昧な定義だが)

例えば、
 精神活動が極端に低下しているなら
  物事の判断ができない
  もっと極端には、ものを認識できない
 (あるいは、観察していてそのように推定される)

 精神活動が極端に活発ならば
  さまざまな刺激に対して敏感になる
  思考がまとまらず支離滅裂になる
 (あるいは、観察していてそのように推定される)

 上記のような軸を決めることは可能ではないか。

 低下しているケースは、例えば自閉症が当てはまるかも知れない。
 超過しているケースは、学習障害といわれているものが当てはまるかもしれない。

 上記の軸の中間(というか正規分布におけるカットオフポイントの内側の領域)が、「正常」と定義づけられるかもしれない。
 
 このように考えると、精神と人間が考えている機能の活動性を軸とした、極端な部分には、二つの相反する領域が見て取れる。

 「精神が障害されている」、というくくり方をする中には、精神活動が極端に低下しているものと、精神活動が極端に活性化しているものが一緒くたにされている可能性がある(繰り返し言うが、”精神の活動性”という定義は、脳の生理活動の複雑性・多様性をひっくるめて考えている概念に過ぎないので、専門家が突っ込めば、いくらでも、その軸で議論できないんじゃないの?と言われて仕方ないものですm(__)m)。

 そこで、先ほどの
 全体の1.7%
 つかまった人の0.6%
 これをその種類別に分けずにまったく同等に考えてよいのか?という議論を提示できる。

 ほとんどじっとして動くことがなくって、精神が傷害されているよっていう人たちと、ものすごく動き回って、気分の高揚とかが激しくて、精神が傷害されていますねっていう人たちをひっくるめて考えてよいのか?

 統合性失調症は、(うろ覚えだが)いくつかの種類に分類されていたように覚えている。
 一概に、検挙された犯罪者に精神が障害されていますよと診断された人が何パーセントという、超マクロな視点をいたずらに用いず、
 凶悪犯罪とされる犯罪領域を特定し、そこにどれくらいの精神に障害を持っていると医師が診断した人で、どのような疾病名をつけられているのか示す・・・そうすると、いたずらな「精神障害者は・・・!」という偏見をより緻密に評価できるような気がするだが・・・。ただ、そういった分析で良いのか、どうか断言できないが・・・。

 ともかく、
 「日本人は平均すると何百万を超える貯蓄を持っていますよ
  だから、日本人であるあなたはお金持ちなのですよ」
 「日本人は平均すると70歳後半まで生きますよ
  だから、あなたも70歳近くまで生きられますよ」
 といった類のトリックを素直に信じるのは、私は危険なことだと思っている。

 いろいろ考えてみたけど、なんとなく後味が悪い。

 しかし、考えはまだ若干続く。

 ふと思ったのだが・・・
 正規分布をモデルにして、正常と異常を考えると
 当然のことであるが
 「正常」=主流、どこにでもいる → 普通
 「異常」=亜流、めったにいない → 普通じゃない
 (”→”は、この場合、”認識を示しており、
  必ずしも現象として一致するわけではない)

 ここで、
 「正常」と認識されている1人が犯罪をして捕まりました。
 「異常」と認識されている1人が犯罪をして捕まりました。
 という状況が同時に起きたと考えてみる。

 で、
 あなた(わたし)の周りには
 「正常」って思う人が100人
 「異常」って思う人が  2人いました(いるでしょう)。
 さて
 「正常」な人と
 「異常」な人
 どっちが感覚的に、危ないなーと感じるでしょう。

 当然といえば当然の話であるが、ほぼ多くの人が、「異常」な人が危ないなーと感じるのではないだろうか。人によっては、『「異常」と分類されている人は、仲間が犯罪を起こしたら次また起こすと「異常」グループの立場がなくなるから、犯罪を起こすリスクは減るよ』などと考えるかもしれませんが・・・多くの経験的に確率論を学習してきた人たちは、「異常」という認識を一つの「犯罪のリスク」の手がかりと認識することでしょう。

 また、100人のうち 1人が犯罪を犯した は
    100人のうち99人は犯罪を犯していない ので
 圧倒的な安心感があります
 「まーたまには悪い奴もいるよ」

      2人のうち 1人が犯罪を犯した は
      2人のうち 1人は犯罪を犯していない
 「もう一人も何するかわからん」

 もし、犯罪を犯す主要因としての性質で上記のグループを分類しているのならば、上記の推論は妥当でしょう。
 つまり、「正常」「異常」が
 ”犯罪を起こそうとする意志の強さの分布”で決められているとするならば・・・(ただし、これは正規分布にはならない;正規分布を半分で真っ二つに切った片割れがこれに当たるかもしれない)。しかし、そうでない場合もありうるわけです。

 このようにして、そもそも人間にとって顕著な特徴によるグループ分けをした際の、亜流=非主流=少数派は、何か特徴的なことをするとそのままそのグループの特徴(何か特徴的なことをしやすいよね)として認識される可能性が高いと言える・・・
 そういう性質を持つのかもしれません。

***

 文字数が限界に近い…
自分が"普通"でないと”感じる”と
生理的に不安定な感覚を同時に覚える人は多いだろう

普通でない は 異常 と考える人も多い
それは おそらく たいていの人が
当然と考えるだろう

では
「普通とは何か」を考えるとき
「異常とは何か」を考えると
手がかりとなりそうに思われる

ところで
異常を考えるとき
例えば 身長 を例にとると
成人男性で 172cm は 普通 だろう
      180cm は なかなかいないかも知れないけど
              普通「にいる」だろう
      200cm は めったにいないと思われる
              普通とは思われないだろう
              異常とは感じないが
              街中で突然目の前に現れると
              ちょっと驚く=生理的に不安定な感覚
      250cm は おそらく
              異常と考えられるだろう
低いほうに持っていく
成人男性で 165cm は 普通 だろう
      155cm は なかなかいないかも知れないけど
              普通「にいる」だろう
      145cm は めったにいないだろう
              突然目の前に現れると・・・
              (以下略)

上のように考えると、統計学的によく用いられる
「正規分布」のモデルがあてはまると考えられる

いわゆる棒グラフなどで

    **
   * *
   *  *
  *   *
  *    *
 *     *
←小・少 多・大→(あくまで概略図)

上記のように表現される分布のモデルである。
中心は、”平均”だと考えられる(ことが多い)。

自然界における数値尺度(だったっけ?)で測定できるものの
分布は、上記のような分布になることが多い。
”性別(男女、雌雄)”といった離散変数(段階尺度)とかは別だけど。

で、
平均値から、どれだけずれているのか
つまり、成人男性の平均身長が172cmだとしたとき
男性Aが身長189cmでした。
さて、この男性Aは、成人男性の中でどれくらい
”平均”から離れているのか・・・っていうのを考えるとき
189cm−172cm=17cm
と、まずは考える。

しかし
例えば、成人女性と比べて考えるとき、
ある成人女性Bは、平均身長より17cm大きかったです
では、成人男性Aと成人女性Bは、どちらが平均より大きく離れていますか?
という問題にぶつかったりする。

こういうとき、よく受験などでお目にかかる
”偏差値”(統計学的には”標準偏差”と呼ぶことが多い)を
用いる

この”偏差値”は
母集団(突然使って申し訳ない。要するに、平均身長を決めるためには、そのグループに属する全員の身長を測定する必要があるが、その、大元となるグループのこと。また、統計学理論上は、全員のデータを集めなくても平均などを推定することはできる)の分布の形などで影響を受けるので
ただ単純に異なる母集団間の偏差値を一概に比べることはできないけれど
単純に引き算した先ほどの数値を比べるよりまだマシである

さて
この偏差値。
受験業界ではよく「偏差値60レベルは努力で到達できる」
といわれている。
つまり、偏差値60レベルはごろごろしているのである(とつぜん非客観的表現で申し訳ない)。
偏差値70レベルは、天性のもの+努力といわれている。
偏差値80レベルは、奇跡に近いと考えられる(ただ、非常にマイナーであまり受験が得意でない人が受けるような模擬試験を、一般的な模試偏差値65レベルの人が受けると偏差値70台後半とか楽々取れる場合がある)

偏差値80レベルは、さっきの山形グラフの
きわめて右の端っこにいる。

ところで・・・
身長250cmは 異常 に思える
偏差値80は たぶん「頭いい」と思われるかも知れないが
       多少なりとも「出来すぎ」=異常 という感覚を免れないかもしれない(現実的にはその人のキャラクターに依存するだろうけど)

ここで
「じゃあ、異常って、正規分布にしたときの
 端っこの方にいる人のことを言えばよいのか?」
と思われる

実際、正規分布しそうな現象のデータを取って
あまりにも左や右に寄りすぎるものは「異常値」として
捕らえられる

なので
偏差値である程度の基準を決めて
そこから大きすぎたり小さすぎたりするものを
「普通じゃない」と決めることもできる
そうすると
連続変数(連続した数値で測定できるもの)上、
上記の偏差値で決められた基準内にいる場合
「普通」と決めることが出来る

ここでいったん(エセ)統計的普通論を終える

ところで
ここで
「自然」という考え方に着目する

「自然」をどう決めるか(定義するか)
はっきり言ってできない。
いろんな考え方がある(変数が多すぎる)。
しかし
各個人個人の感覚や理性や意識の中で
「自然」という認識は成立しているだろう

この「自然」という認識は
同時に
「不自然」を決定する

そして「不自然」 は
「異常」を認識するための手がかりとなる認識であろう

さて統計学的普通論に戻る

統計学では
「自然に存在するもの」の中から正規分布を見つけ出した
つまり
偏差値80のレベルのものは自然界に
少数ながら(でも)存在する必要があるのである

もちろん
一様分布(120cmの人も、150cmの人も、170cmの人も、200cmの人も、同じ数ぐらいいる)とか
現実的には、偏りの多い分布はあるのだけれども

統計学的に正規分布を用いて
大多数と、そうでない少数を分け
普通(正常)・非普通(異常)を決めると

自然界において存在が必要な偏りの大きいものは
すなわち「非普通(異常)」は
「自然」に存在する。

非普通は自然なのである。

*****

腹が減ったので
いったん打ち切り。

閉塞感

2005年5月23日 in the life
閉じて
塞(ふさ)がった
感じ

閉塞と聞いて
私は
脳梗塞
心筋梗塞を思い浮かべる

医師たちは
説明に
「ここが閉塞しています」
ありふれた言葉として使う

ところで
閉塞感
という言葉で
現実に
何かが詰まってふさがっている状況を
感覚的に伝える
そんな用法はあまりないだろう

風邪をひいて
鼻が詰まりがちな人が
「鼻に閉塞感があるのです」
という場面に出くわすことは
あまりなさそうである

日常において
特定の日本人以外が
「閉塞感」を使うとき
必ず

明日頑張ってもどうしようもないよね

という意味合いで使われることが多い

閉塞感は字義通りなら
冒頭に述べたように

閉じて
塞(ふさ)がった
感じ
である

だから
「鼻に閉塞感があってね」
は間違いではない

「この流し台に閉塞感を覚えるのよ」
(流し台のパイプが詰まっているであろう状態を指しながら)

間違いのように聞こえてしまう

つまり
閉塞感

健康上の問題を指す場合と
問題に対する将来への手がかりがなさそうな状況をさす場合
しかるべき言葉のように
聞こえる


いくら
閉じて
詰まっているような
感覚を覚えても

それ以外に使うと
奇妙に思われる

ところで
そもそもそんなことを考え始めたのは
自分が
閉塞感で
いっぱいで

では
閉塞で
梗塞が思い出され

そういえば
閉塞感って
最近の流行り言葉みたいに
よく聞かれるよね

思ったからであり

今の自分は
閉じて
塞がっている
感じ

閉じて・・・家に閉じこもって?
いえ・・・自分の中に閉じこもって・・・
塞がっている・・・目も耳も?
いえ・・・明日への道が見えなくて
行き先をふさがれているような感じ・・・

そう
そんな感じ

仕事は
いつもどおりにしているのに
自分の先が
見えなくなっている

それは
自分が閉じているから?

そう
たぶん。

自分で
塞ぐのを止めれば
閉じなくなる
かも
知れない

思いつつ・・・

しかし
閉じないと・・・
とてもこの心の傷は癒せない・・・

誰か
きつく消毒して
キリキリ ヒリヒリさせて
ガーゼで保護して
明日も
それを繰り返して
この
傷を
癒してくれ・・・

って
甘えてもしょうがないのでしょうが。

罪の文化

2005年2月21日 in the life
ふとこれまでの生き様を振り返ってみると
恥ずかしい思い出ばかりが浮かんでくる
僕はいつだって責められてきた

本当にしたいと思うこと全部が
いつも
どこでも
誰に対しても
決まって同じこと

それは・・・それは・・・それは、罪
そう、それは罪

してしまったことすべて
そしてこれからすることすべて
どこでそれをしたって同じ
これからどこに行ってしようが
それは罪

学校でどうしたら
健全な精神と言葉を身につけられるか
教わってきたが
うまくはいかなかった

本当にしたいと思うこと全部が
いつも
どこでも
誰に対しても
決まって同じこと

それは・・・それは・・・それは、罪
そう、それは罪

してしまったことすべて
そしてこれからすることすべて
どこでそれをしたって同じ
これからどこに行ってしようが
それは罪

父よ
許したまえ
そんなつもりはなかったんだ
心を入れ替えたつもりだけど
その心をいつも汚してしまった
言いつけを信じず
守らずにいた
父よ
あなたは気にも留めなかった僕を
強く叱責していた
それなのにまだ僕は分かっていない

だから
これまでの生き様を振り返ってみても
恥ずかしい思い出がずっと浮かんでくる
僕ははいつだって責められなくちゃならない

本当にしたいと思うこと全部が
いつも
どこでも
誰に対しても
決まって同じこと

それは・・・それは・・・それは、罪
そう、それは罪

してしまったことすべて
そしてこれからすることすべて
どこでそれをしたっておなじ
これからどこに行ってやろうが
それは罪

original lyrics by PET SHOP BOYS "It’s A Sin"

***** ***** *****

罪の文化と恥の文化・・・
long lost red thread
it suddenly turns red again
only was transparent
surely my feeling for you never ended

i see you in the sight
so surprisingly
i only told my name to your company
so loudly
after that i was singing
i was singing
"when is the miracle?"

あじさい

2004年5月28日 in the life
Fu...

梅雨の夜空に月は見えないけど
きっとあなたは見ているんだろう
ゆううつな雲の隙間から覗く
ほんのちっぽけな心慰み

夜もきっとかたつむりたちは
ゆっくりとその歩みを進めていくだろう
あなたと過ごしてきた日々のように
きっときっと長く続いていくだろう

今日
僕は
あじさいを眺めていた
雨が降りしきる中
今日
僕は
あじさいを眺めていた

ただ雨が
降りしきる中だった

Fu...

時折訪れる雲の切れ間の日
僕は自転車から空を眺めた
久しぶりにたたずむ月の姿
きっとあなたも見つめているだろう

忘れかけていた記憶を呼ぶ
あの雨の音と月の姿に
やりきれなくて甘い匂いが
ふと僕の感覚を狂わせてしまう

今日
僕は
あじさいを眺めていた
雨があがった夜に
今日
僕は
あじさいを眺めていた

ただ月が
眠っている夜のことだった

春に眺めていた桜の色の先には
染まったあなたの頬の色が見えていた
今夜見つめているあじさいの香り
ずっと
ずっと
焦がれていたあの思い出・・・

Fu...
Fu...
Fu...
Fu...

今日
僕は
あじさいを眺めていた
雨が降りしきる中
今日
僕は
あじさいを眺めていた

ただ雨が
降りしきる中だった

今日
僕は
あじさいを眺めていた
雨が降りしきる中
今日
僕は
あじさいを眺めていた

ただ雨が
降りしきる中だった

ただ雨が
降りしきる中だった

ただ雨が
やさしく包んでくれた・・・

++++++++++ +++++++++++

オレンジ様へ

相互リンクありがとうございます。
よろしくお願いします

集中治療室

2004年4月13日 in the life
物静かなナースが
若いナースのおさげを編んでいた

呼吸器につながれた老女
免疫を失った男性
開頭の手術後の成人
意識不明の少年

息を吹き返すようにと
呼びかけは続いている

大丈夫
この命は
まだ輝いているからね

物静かなナースがささやく
あどけない少女のような笑顔で
もう一人のナースは目をやった

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索