現代の徳政令は終戦と言う形で日本にもたらされた
完全に破壊しつくされたように見えた日本には
無形の技術や教育による素養を持ち
そして
打ち砕かれた信念の後に残った
絶望の後に現れた無垢の希望にしがみつく
人々が溢れていた

彼らは悲しみと絶望
そして多くの犠牲への償いの気持ちをパワーに変えて
懸命に生き延びた

彼らの要求水準は高くなく
食べられて
働けて
少し楽しみがあれば十分だった
質素でつましやかだった
贅沢を知らずに生きた

ただ
ひたすら毎日を生きるための基本を
実践して生きていた

ほかにも幸運な状況が
いくつもあった

そして
アジアの奇跡と呼ばれるまでに
敗戦から立ち直ることができた

そんな状況では
仕事はすべて何らかの意義を持ち
続けることが大切で
そこから得ていった何かに
みなプライドを持てた
さらに
年功序列を維持できる経済的
人口学的背景などが
それらを後押しした

しかし
時代は変わった

人々は贅沢しか知らなくなった
日々の基本を実践しなくても
他人に依存して生きていけるようになった
年功序列は崩れた
家庭像は崩れた
教育の意味が変質した
成功の指標が異なってきた
変わらないものはたくさんあるが
それを細かい部分から大きく変えるものが増えてきた

何よりも
知らなくても良いことまで
ずいぶんと知ることができるようになった

知識や情報が増えることはいいことだ
だが
適度な知識や情報を選んで使わなければ
我々はただ知るということだけを追っかけて
人生を費やしてしまうことになるかもしれない

我々は知ってしまった
金銭的成功を収めるための代償と
社会的成功を収めるための欺瞞を
外的権力を得るための内的高慢と
内的安寧を保つための外部犠牲を

持つものが増やすことができ
持たざるものは奪われていく

頑迷な口達者が正しいとも正しくないとも分からない理屈で
多くのものを導くが
正直な口下手は割りと正しい理屈を考えてはいるけれど
多くのものはその言葉に耳を貸さない

多分
これから
今まで培ってきた
見えなかったものがどんどんと失われていく

それは
自分たちの選択でもあるし
歴史の選択でもあるのだろう

今まで見えないところで守られてきた
たくさんの維持活動が
薄給と高齢化と
テクニカルマニュアルに反映されない
暗黙の知恵の喪失によって
ずたずたに寸断される

電気
水道
ガス
交通
工場
製品
作法
清潔

すでに
我々はそれがおきているのを
ずいぶんと前から
まったく連想もつかないところから見てきている

それは
家庭の崩壊だ

家庭という最大の社会基盤を
我々は蔑ろにして長い
何かに置き換えようとしてきた
しかし
何かに置き換えることが出来ただろうか

必ずしも昔の家庭が
万能だったとは言えない
それに
農村と漁村と山村の家庭の姿は
それぞれ異なっていて
一概にどの姿が良いとも言えない

ただ
私が考えるのは
小さな社会基盤の欠損が
やがて大きな社会基盤の欠損につながるのではないかという
かなりあやふやだが
大きな懸念

そして
それに私は何が出来るのだろうかという問いかけ

それにしても
基本的なことを体で覚える前に
私はずいぶん年をとってしまったように思う

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