看取り

2007年4月18日コメント (2)
小さなころはペットをたくさん看取ってきた
うちは,ペットを飼うのが
特に母親が好きで
セキセイインコに始まり
オカメインコを数羽も飼った
金魚も力を入れて育てて
握りこぶしくらいに大きくした

でも
小動物の命は儚い

人間のライフサイクルを越えるペットは
いないのである

みんな忘れられない
ともに生活を過ごした記憶の中の友達
特に
二羽のオカメインコと
二匹のチンチラのことが忘れられない

そのうちの一羽のオカメインコは
ずいぶんと長生きをしたし
とても愛嬌があって
家族みんなから愛された
家から逃げ出したこともしばしばあったけど
気合で探して連れて帰った

彼女の最後は
家族の不注意から始まった

年取った彼女は
思い切り踏まれてしまった

そして
足を折ってしまい
そこから出血がだらだらと続いた

家族みんなで

動物病院に連れて行った

僕は中学生だったろうか
でも
命の仕組みなんてあまり分かってはいなかった
ましてや
親や弟たちもわかっていなかった
けど
「このまま,足を固定しても,出血がひどくて死ぬ.
 なら,折れた足を切って,出血を止めるべきだ」
そう,考えた

だけれども家族はみなそれを選ばなかった
「足を切るのはかわいそう」
みな,その意見で染まっていた

医師に足の固定をしてもらい
包帯を巻いて帰った

家に連れてかえる車の中で
この手の中で彼女は何度も瞳を閉じた
彼女の名前を呼んで
何度も揺り起こした
そのたびに
まるで眠りから目が覚めるような
あの頓狂なかわいらしい顔で目を覚ました
そのたびに
家族はほっとした

しかし
悪い予想のとおり
彼女はその翌朝息を引き取っていた

医師の説明は十分には聞かなかったが
もはや足を切るきらないの問題ではなかったのかもしれない
足を切っても
それほど命が続いていなかったかもしれない

だが
僕は今でもあの時
足を切って
多少残酷だが
焼くなりして出血を完全に止めておけば

もしかしたらもうしばらく
ひょっとすると数ヶ月から数年
彼女は命をつなぎとめたかもしれない
そう思い出すことがある

その選択をしなかったことが
本当に悔しい

あのころから
「みんなが決めたことだから」
という考え方が一番嫌いになった

今でも
心のそこから
「まだ,これが出来るんじゃないか」
と思うとき
この出来事を思い出すことがある

そして
多くの場合
やはり結果に後悔することがある

それほど
そこまでのめりこむ事柄は
そんなにあるわけじゃないけれど

*****

年月を経て
僕は
看取りのもっとも多い職場を選び
血のつながっていない方々を
一年間にこの手で5人も
最後の体拭きをして見送った

最後までしつこいほどに
命を永らえさせる場所
多くの場合
「やりすぎだろう」と思った

けど
最後に息を引き取る1ヶ月の間
何人もの人たちは
少し苦しそうになりながらも「ありがとう」
と言ってくれたり
ちょっとした意地悪を僕にして
「なははは」と笑ったり
そんな最期になるだろうと
そこはかとなくその方々が気づいていただろう
人生のエンディングのワンシーンを
彩ってあげることが出来た

一緒に
少しの時間だけを延ばしてあげて
ちょっと笑うことや
微笑むことができる時間をあげられた

そう
思っている

それは
本人たちがそう思っているからというより
家族が
その後やってきて
僕に見せた
笑顔
少し俯きながらも力強くされたお辞儀の深さ
そして亡き人を偲びながら涙を流し伝える感謝の言葉
それらに
心から感じる瞬間があったからだ

そして多くの方々は
結局お亡くなりになったが
次の年からは
奇跡といわれる生還を
3症例見ることとなった

*****

人間の姿を無残に変えて
ただ機械に縛り付けて生きながらえさせるのは
一番嫌いだ

次に
ただ感情的になって
助かる命をあきらめるような行為は
次に嫌いだ

しつこく粘って
あきらめながらもがんばって
奇跡を見るのが一番だけど
それは宝くじに当たるようなもので

その次にいいのは
あきらめがあったとしても
出来る限りのことはして
ほんの少しだけ
あちらに行ってしまう前に
ご本人と
家族に
良い思い出を作ってもらってから
旅立ってもらうことだ

コメント

でゅん
でゅん
2007年4月23日23:53

あ〜〜〜、読んでいたら涙がボタボタ落ちていました。
・・・キーボードに。。
本来なら感情的になるであろう事柄を、淡々とした感じで書いてくれていたので、DANNさんの考えがとても伝わってきました。
看取りの多い職場は、大変でしょう。。

DANN
DANN
2007年4月24日12:15

いろいろと感じ取っていただければ幸いです.

医療の現場は,いわゆる一般の方にはなかなか理解されない側面をたくさんもちます.
でも,それはごく最近になって臨死という場面が医療の現場に移管されていってからのことだと思っています.

昔は,多くのかたがた,子供,成人,老人たちが,家で命に別れを告げていました.

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