眠れないので続けてみる。

***

ふと思い出す。
「ブラックジャックによろしく」
精神病棟編。

精神病院に入院した履歴のある人間が
学校に闖入し、小学生を無差別に殺害、負傷させる
現実にあった事件をモデルにしたプロットを思い出す。

そこで、「精神病」に対する世間の偏見を変えようと闘う
新聞記者が、次のようなせりふを言うシーンがある。

 日本人全体の中で・・・
 精神障害者と言われる人は人口の1.7%います・・・
 しかし警察に捕まった犯罪者のうち・・・
 精神障害者は0.6%しかいません・・・

 精神障害者は障害のない人間と比べて・・・
 犯罪を起こす確率が低いんですよ・・・

上の議論は、
「精神障害者は、犯罪を起こしやすい」という
よくある認識を理論的に覆すために用いられるロジックである
しかしながら、
全体における精神に障害を持ったと意志が判断した者の割合と
警察に捕まった犯罪者全体における精神障害者の割合を
単純に比較して論じることは
「精神障害者は、犯罪を起こしやすい」という先入観よりは
まだ論理的アプローチを用いようとしている点で理性的だが
厳密に考えると、議論の余地はいくらでもある

さて
もし、人間が持つ「精神」と考えられている機能について
厳密には無理なので、ゆるく考えてみる
(ニューロン活動や刺激伝導のための化学物質ががどのように振る舞い、それに対して普遍的に人間機構はいかに振舞うのかなんてまだ正確にはわかっていないからである)

精神的な「正常」「異常」を
正規分布のようなモデルで決めることを考えてみる
(器質的障害、つまり脳の一部が破壊されているといったケースはここでは考えないこととする)

精神活動は、脳の活動だけで定義されるものではない。
外的因子、例えば自分が置かれている環境条件などによっても左右される。だから、頭が大きいとか、テストで点が取れるとか、言葉が上手だとか、そういった一概に決定できるものではない。
↑話が混乱気味ではあるが・・・

しかし、一つ「軸」として考えられる側面を思いつく

活動性・・・(これも曖昧な定義だが)

例えば、
 精神活動が極端に低下しているなら
  物事の判断ができない
  もっと極端には、ものを認識できない
 (あるいは、観察していてそのように推定される)

 精神活動が極端に活発ならば
  さまざまな刺激に対して敏感になる
  思考がまとまらず支離滅裂になる
 (あるいは、観察していてそのように推定される)

 上記のような軸を決めることは可能ではないか。

 低下しているケースは、例えば自閉症が当てはまるかも知れない。
 超過しているケースは、学習障害といわれているものが当てはまるかもしれない。

 上記の軸の中間(というか正規分布におけるカットオフポイントの内側の領域)が、「正常」と定義づけられるかもしれない。
 
 このように考えると、精神と人間が考えている機能の活動性を軸とした、極端な部分には、二つの相反する領域が見て取れる。

 「精神が障害されている」、というくくり方をする中には、精神活動が極端に低下しているものと、精神活動が極端に活性化しているものが一緒くたにされている可能性がある(繰り返し言うが、”精神の活動性”という定義は、脳の生理活動の複雑性・多様性をひっくるめて考えている概念に過ぎないので、専門家が突っ込めば、いくらでも、その軸で議論できないんじゃないの?と言われて仕方ないものですm(__)m)。

 そこで、先ほどの
 全体の1.7%
 つかまった人の0.6%
 これをその種類別に分けずにまったく同等に考えてよいのか?という議論を提示できる。

 ほとんどじっとして動くことがなくって、精神が傷害されているよっていう人たちと、ものすごく動き回って、気分の高揚とかが激しくて、精神が傷害されていますねっていう人たちをひっくるめて考えてよいのか?

 統合性失調症は、(うろ覚えだが)いくつかの種類に分類されていたように覚えている。
 一概に、検挙された犯罪者に精神が障害されていますよと診断された人が何パーセントという、超マクロな視点をいたずらに用いず、
 凶悪犯罪とされる犯罪領域を特定し、そこにどれくらいの精神に障害を持っていると医師が診断した人で、どのような疾病名をつけられているのか示す・・・そうすると、いたずらな「精神障害者は・・・!」という偏見をより緻密に評価できるような気がするだが・・・。ただ、そういった分析で良いのか、どうか断言できないが・・・。

 ともかく、
 「日本人は平均すると何百万を超える貯蓄を持っていますよ
  だから、日本人であるあなたはお金持ちなのですよ」
 「日本人は平均すると70歳後半まで生きますよ
  だから、あなたも70歳近くまで生きられますよ」
 といった類のトリックを素直に信じるのは、私は危険なことだと思っている。

 いろいろ考えてみたけど、なんとなく後味が悪い。

 しかし、考えはまだ若干続く。

 ふと思ったのだが・・・
 正規分布をモデルにして、正常と異常を考えると
 当然のことであるが
 「正常」=主流、どこにでもいる → 普通
 「異常」=亜流、めったにいない → 普通じゃない
 (”→”は、この場合、”認識を示しており、
  必ずしも現象として一致するわけではない)

 ここで、
 「正常」と認識されている1人が犯罪をして捕まりました。
 「異常」と認識されている1人が犯罪をして捕まりました。
 という状況が同時に起きたと考えてみる。

 で、
 あなた(わたし)の周りには
 「正常」って思う人が100人
 「異常」って思う人が  2人いました(いるでしょう)。
 さて
 「正常」な人と
 「異常」な人
 どっちが感覚的に、危ないなーと感じるでしょう。

 当然といえば当然の話であるが、ほぼ多くの人が、「異常」な人が危ないなーと感じるのではないだろうか。人によっては、『「異常」と分類されている人は、仲間が犯罪を起こしたら次また起こすと「異常」グループの立場がなくなるから、犯罪を起こすリスクは減るよ』などと考えるかもしれませんが・・・多くの経験的に確率論を学習してきた人たちは、「異常」という認識を一つの「犯罪のリスク」の手がかりと認識することでしょう。

 また、100人のうち 1人が犯罪を犯した は
    100人のうち99人は犯罪を犯していない ので
 圧倒的な安心感があります
 「まーたまには悪い奴もいるよ」

      2人のうち 1人が犯罪を犯した は
      2人のうち 1人は犯罪を犯していない
 「もう一人も何するかわからん」

 もし、犯罪を犯す主要因としての性質で上記のグループを分類しているのならば、上記の推論は妥当でしょう。
 つまり、「正常」「異常」が
 ”犯罪を起こそうとする意志の強さの分布”で決められているとするならば・・・(ただし、これは正規分布にはならない;正規分布を半分で真っ二つに切った片割れがこれに当たるかもしれない)。しかし、そうでない場合もありうるわけです。

 このようにして、そもそも人間にとって顕著な特徴によるグループ分けをした際の、亜流=非主流=少数派は、何か特徴的なことをするとそのままそのグループの特徴(何か特徴的なことをしやすいよね)として認識される可能性が高いと言える・・・
 そういう性質を持つのかもしれません。

***

 文字数が限界に近い…

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