高見運転士、日勤教育実態…原稿用紙30枚の反省文 [ZAKZAK]
2005年5月21日 時事ニュース
05月21日付 ZAKZAKの報道「高見運転士、日勤教育実態…原稿用紙30枚の反省文」へのコメント:13日で反省文19回…尼崎脱線運転士の日勤教育
(追加引用 yahoo news より)
兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、死亡した高見隆二郎運転士(23)が昨年6月にオーバーランをした後、JR西日本・京橋電車区(大阪市)で受けた再教育「日勤」の詳細が20日、明らかになった。
13日間に書かされた反省文は19回、原稿用紙で計30枚以上。遠足の小学生の団体乗車で生じた10秒の遅れを、上司3人から詰問され、「回復運転」できなかったことを厳しくとがめられていた。
高見運転士は昨年6月8日、篠山口(ささやまぐち)発木津行き快速電車を運転中、片町線下狛(しもこま)駅(京都府精華町)で100メートルオーバーランし、翌日から電車区の詰め所で午前9時〜午後5時45分まで「日勤」を受けた。
教育係の上司3人から、「なぜオーバーランしたのか」「今後どういうことに気をつけるのか」と繰り返し質問を受け、「安全意識が欠けていた」と答えた。この下狛駅到着時に10秒の遅れが出ていたが、小学生が団体乗車した一つ手前の駅で、「子供たちが(乗り降りに)もたもたしていたので……」と、乗降時間が10秒余分にかかったことを説明。上司らは「それくらいの遅れは取り戻すべきだった」と、下狛駅までに回復運転できなかったことを責めた。
高見運転士が運転士になったのはこの約1か月前の昨年5月。訓告処分を受けて、同年12月のボーナスを5万円カットされた。
JR西日本は事故後、再教育制度を見直しているが、高見運転士の日勤について「電車区長の裁量で適正に行われたと判断している」としている。
(読売新聞) - 5月21日3時3分更新
***** ***** *****
>高見運転士は昨年6月8日、篠山口(ささやまぐち)発木津行き快速電車を運転中、片町線下狛(しもこま)駅(京都府精華町)で100メートルオーバーラン
↑
お亡くなりになった方を責めるのは感情的に避けたいですが・・・やはりこの運転手はオーバーランに関しては常習犯であったようですね。
対応の方法としては・・・
1.オーバーランが続く限りは運転手を辞めさせる
2.オーバーランしないようなfail safe機構を付与する
3.オーバーランしても大丈夫な体制とする
上記のような選択肢を考慮すると、これは
Cost effectiveness v.s. Safety effectiveness
のトレードオフ関係にあると考えることもできるわけです。
> 教育係の上司3人から、「なぜオーバーランしたのか」「今後どういうことに気をつけるのか」と繰り返し質問を受け、「安全意識が欠けていた」と答えた。
↑
「オーバーランする」=「安全意識が欠けている」
確かに、規律に守られた手順に従うこと(いわゆるコンプライアンス)ができなければ、安全意識がかけているという事象として定義づけられるかもしれませんが・・・・。
業務上の手順を定めるときには、おそらく
・安全面
・経済面
上記を、バランスを考慮しながら、決定すると思われます。
上記の会話は、極自然な対話に思われますが、
「オーバーラン」の影響は素人目から見たら・・・
オーバーランする⇒無駄な手順(バック)が入る
⇒時間が遅れる⇒遅延による損失が生じる(可能性がある)
⇒経済的に損失になる
つまり、経済的側面の問題であって、安全に関しては比重が小さいのではないかと思われます
あくまで素人の視点ですが・・・
オーバーランする→急ブレーキがかかる→危ない
この程度の安全面のリスクしかないのではないかと・・・
(もちろん、オーバーランするぐらいの注意力は、運行を任せるに足る能力状態であるとは言えない様な気もしますが・・・)
また、上記のようなインタビューは、本当に上司がオーバーランというインシデントに対して重要な問題意識を持ち、それを適切に改善したいと意図するものなら意義は十分あります。
しかし、ただ単に「精神的な負の作用を与える」ことで「オーバーランという行為を回避させる」といった教育効果を意図してるのなら、効果は大して挙がらないような気がします(そのような心理学の有名な実験論文があったような気がする)。
「精神的な負の作用を与え」→「特定の行為を回避させる」というのは、ねずみに対するオペラント実験(?だったっけか)が有名で、確かにその実験により、ねずみは電気ショックを与えられる行為をしなくなりますが・・・
それはあくまでその行為がねずみにとって不必要な行為である場合に限定されていたような気がします。
今回の場合、運転手にとって、いわゆる無理な「回復運転」は
・危険な行為
である反面、
・上司によって推奨されていた業務
であったと考えられます。
>小学生が団体乗車した一つ手前の駅で、「子供たちが(乗り降りに)もたもたしていたので……」と、乗降時間が10秒余分にかかったことを説明。上司らは「それくらいの遅れは取り戻すべきだった」と、下狛駅までに回復運転できなかったことを責めた。
↑
これって、「乗客を言い訳にするな」とか責めていたのでしょうね。
でも、おそらく小学生の団体が乗降するのって、時間がかかるのも確か。
10秒遅れても、ちゃんと安全を確認したという行為は、むしろ「乗客の立場に立った行為」だと考えることができるわけです。
もちろん、上司は「客を無視しろ」とは言っていませんが・・・。
「回復運転しろ」→多少危険なスピードは出せ→(リスクを低く見積もって)乗客に居心地悪い状況を与えても構わない
かわいい部下を教育する、熱心な上司は、もしかしたらそういう因果関係の先の部分を考えなくても良いのかもしれませんね。
>JR西日本は事故後、再教育制度を見直しているが、高見運転士の日勤について「電車区長の裁量で適正に行われたと判断している」としている。
(妄想)
電車区長の部下
「例のオーバーランの彼ですが、どうしましょう」
電車区長
「あー、適当にいつもどおり”追い込んで”おいて
くれればいいよ。」
電車区長の部下
「はい。じゃ、しっかり”追い込んで”おきます。」
電車区長
(ニヤニヤしながら)
「最近の若いモンはなってないからねー。ビシッと。」
電車区長の部下
(ニヤニヤしながら)
「そうですね。ビシッといっときますか。」
↑
個人的に大体こんな感じで新人教育をされたものですから。
(追加引用 yahoo news より)
兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、死亡した高見隆二郎運転士(23)が昨年6月にオーバーランをした後、JR西日本・京橋電車区(大阪市)で受けた再教育「日勤」の詳細が20日、明らかになった。
13日間に書かされた反省文は19回、原稿用紙で計30枚以上。遠足の小学生の団体乗車で生じた10秒の遅れを、上司3人から詰問され、「回復運転」できなかったことを厳しくとがめられていた。
高見運転士は昨年6月8日、篠山口(ささやまぐち)発木津行き快速電車を運転中、片町線下狛(しもこま)駅(京都府精華町)で100メートルオーバーランし、翌日から電車区の詰め所で午前9時〜午後5時45分まで「日勤」を受けた。
教育係の上司3人から、「なぜオーバーランしたのか」「今後どういうことに気をつけるのか」と繰り返し質問を受け、「安全意識が欠けていた」と答えた。この下狛駅到着時に10秒の遅れが出ていたが、小学生が団体乗車した一つ手前の駅で、「子供たちが(乗り降りに)もたもたしていたので……」と、乗降時間が10秒余分にかかったことを説明。上司らは「それくらいの遅れは取り戻すべきだった」と、下狛駅までに回復運転できなかったことを責めた。
高見運転士が運転士になったのはこの約1か月前の昨年5月。訓告処分を受けて、同年12月のボーナスを5万円カットされた。
JR西日本は事故後、再教育制度を見直しているが、高見運転士の日勤について「電車区長の裁量で適正に行われたと判断している」としている。
(読売新聞) - 5月21日3時3分更新
***** ***** *****
>高見運転士は昨年6月8日、篠山口(ささやまぐち)発木津行き快速電車を運転中、片町線下狛(しもこま)駅(京都府精華町)で100メートルオーバーラン
↑
お亡くなりになった方を責めるのは感情的に避けたいですが・・・やはりこの運転手はオーバーランに関しては常習犯であったようですね。
対応の方法としては・・・
1.オーバーランが続く限りは運転手を辞めさせる
2.オーバーランしないようなfail safe機構を付与する
3.オーバーランしても大丈夫な体制とする
上記のような選択肢を考慮すると、これは
Cost effectiveness v.s. Safety effectiveness
のトレードオフ関係にあると考えることもできるわけです。
> 教育係の上司3人から、「なぜオーバーランしたのか」「今後どういうことに気をつけるのか」と繰り返し質問を受け、「安全意識が欠けていた」と答えた。
↑
「オーバーランする」=「安全意識が欠けている」
確かに、規律に守られた手順に従うこと(いわゆるコンプライアンス)ができなければ、安全意識がかけているという事象として定義づけられるかもしれませんが・・・・。
業務上の手順を定めるときには、おそらく
・安全面
・経済面
上記を、バランスを考慮しながら、決定すると思われます。
上記の会話は、極自然な対話に思われますが、
「オーバーラン」の影響は素人目から見たら・・・
オーバーランする⇒無駄な手順(バック)が入る
⇒時間が遅れる⇒遅延による損失が生じる(可能性がある)
⇒経済的に損失になる
つまり、経済的側面の問題であって、安全に関しては比重が小さいのではないかと思われます
あくまで素人の視点ですが・・・
オーバーランする→急ブレーキがかかる→危ない
この程度の安全面のリスクしかないのではないかと・・・
(もちろん、オーバーランするぐらいの注意力は、運行を任せるに足る能力状態であるとは言えない様な気もしますが・・・)
また、上記のようなインタビューは、本当に上司がオーバーランというインシデントに対して重要な問題意識を持ち、それを適切に改善したいと意図するものなら意義は十分あります。
しかし、ただ単に「精神的な負の作用を与える」ことで「オーバーランという行為を回避させる」といった教育効果を意図してるのなら、効果は大して挙がらないような気がします(そのような心理学の有名な実験論文があったような気がする)。
「精神的な負の作用を与え」→「特定の行為を回避させる」というのは、ねずみに対するオペラント実験(?だったっけか)が有名で、確かにその実験により、ねずみは電気ショックを与えられる行為をしなくなりますが・・・
それはあくまでその行為がねずみにとって不必要な行為である場合に限定されていたような気がします。
今回の場合、運転手にとって、いわゆる無理な「回復運転」は
・危険な行為
である反面、
・上司によって推奨されていた業務
であったと考えられます。
>小学生が団体乗車した一つ手前の駅で、「子供たちが(乗り降りに)もたもたしていたので……」と、乗降時間が10秒余分にかかったことを説明。上司らは「それくらいの遅れは取り戻すべきだった」と、下狛駅までに回復運転できなかったことを責めた。
↑
これって、「乗客を言い訳にするな」とか責めていたのでしょうね。
でも、おそらく小学生の団体が乗降するのって、時間がかかるのも確か。
10秒遅れても、ちゃんと安全を確認したという行為は、むしろ「乗客の立場に立った行為」だと考えることができるわけです。
もちろん、上司は「客を無視しろ」とは言っていませんが・・・。
「回復運転しろ」→多少危険なスピードは出せ→(リスクを低く見積もって)乗客に居心地悪い状況を与えても構わない
かわいい部下を教育する、熱心な上司は、もしかしたらそういう因果関係の先の部分を考えなくても良いのかもしれませんね。
>JR西日本は事故後、再教育制度を見直しているが、高見運転士の日勤について「電車区長の裁量で適正に行われたと判断している」としている。
(妄想)
電車区長の部下
「例のオーバーランの彼ですが、どうしましょう」
電車区長
「あー、適当にいつもどおり”追い込んで”おいて
くれればいいよ。」
電車区長の部下
「はい。じゃ、しっかり”追い込んで”おきます。」
電車区長
(ニヤニヤしながら)
「最近の若いモンはなってないからねー。ビシッと。」
電車区長の部下
(ニヤニヤしながら)
「そうですね。ビシッといっときますか。」
↑
個人的に大体こんな感じで新人教育をされたものですから。
コメント