逆転
2004年5月2日皆さんは、感情と理性の二項対立論を
いずれにせよ聞き知っていると思う
感情と理性は多くの場合
相反する概念として捉えられてきた
場合によっては鬩ぎ合う対称形
場合によっては相容れぬ平行次元の存在
場合によってはどちらが優位ともいえない
上層・下層部の構造を持って語られる
しかし感情はかなりの部分理性によって規定される
また
感情を規定しようという理性も
かなりの部分感情によって
その指向性を左右される
時として感情は理性を包括し
時として理性は感情を包括する
私は選抜試験の際に
情念としての怒りと
感情としての怒りを
緻密に著述している文章に出くわした
言語化されると却って捕らえにくい
微妙な感情を精緻に
あくまで論理に則って表現している著者の意図は
痛いほどまでに人生を通じて理解される
が
あくまでその感情は著者である彼にしか把握されず
一個の私にはその精緻さを
時間軸を追って一致させるほどの説得力はない
今は。
感情がその著者がその表現を選択した時と
同様の状況におかれた場合
その「情念的な怒り」などに一致する瞬間を
断片的に得られることは確かだが
それは人生というひとつの複雑系にある
線形の一部を微分したも同然で
結局指向性が感情により左右されると
軸そのものがひっくり返されてしまって
それを微分して指し示した傾き
そのものの指し示す方向が
「異なる」と理解される
それがゆえに大勢は認知論へといたり
その認知論も科学的根拠を導入した瞬間に
ある断面の局地的な把握
すなわち大義の微分的傾向を持つため
堂々巡りで決着はつかない
自然における現象で
複雑な振る舞いを示すものは
実は簡単な数個の因子から成立する
方程式によって記述される
このゆれる感情は
恐ろしく単純に形成され
かつ
恐ろしく複雑に振る舞い
予測は不可能だ
ただ
今
ここで自分が独白しているという
ひとつの行為が
複雑な感情と理性のせめぎあい
あるいは不一致と認識しているものを
なんとか説明しようとしていること
それが無駄であると分っていても
してしまうこと
複雑さそのものに意味などはない
おそらく
そう考えている時間が非可逆的に
「私」を押し流している中で
この独白が突如その軸を変えて
意味をなすのかもしれない・・・
いずれにせよ聞き知っていると思う
感情と理性は多くの場合
相反する概念として捉えられてきた
場合によっては鬩ぎ合う対称形
場合によっては相容れぬ平行次元の存在
場合によってはどちらが優位ともいえない
上層・下層部の構造を持って語られる
しかし感情はかなりの部分理性によって規定される
また
感情を規定しようという理性も
かなりの部分感情によって
その指向性を左右される
時として感情は理性を包括し
時として理性は感情を包括する
私は選抜試験の際に
情念としての怒りと
感情としての怒りを
緻密に著述している文章に出くわした
言語化されると却って捕らえにくい
微妙な感情を精緻に
あくまで論理に則って表現している著者の意図は
痛いほどまでに人生を通じて理解される
が
あくまでその感情は著者である彼にしか把握されず
一個の私にはその精緻さを
時間軸を追って一致させるほどの説得力はない
今は。
感情がその著者がその表現を選択した時と
同様の状況におかれた場合
その「情念的な怒り」などに一致する瞬間を
断片的に得られることは確かだが
それは人生というひとつの複雑系にある
線形の一部を微分したも同然で
結局指向性が感情により左右されると
軸そのものがひっくり返されてしまって
それを微分して指し示した傾き
そのものの指し示す方向が
「異なる」と理解される
それがゆえに大勢は認知論へといたり
その認知論も科学的根拠を導入した瞬間に
ある断面の局地的な把握
すなわち大義の微分的傾向を持つため
堂々巡りで決着はつかない
自然における現象で
複雑な振る舞いを示すものは
実は簡単な数個の因子から成立する
方程式によって記述される
このゆれる感情は
恐ろしく単純に形成され
かつ
恐ろしく複雑に振る舞い
予測は不可能だ
ただ
今
ここで自分が独白しているという
ひとつの行為が
複雑な感情と理性のせめぎあい
あるいは不一致と認識しているものを
なんとか説明しようとしていること
それが無駄であると分っていても
してしまうこと
複雑さそのものに意味などはない
おそらく
そう考えている時間が非可逆的に
「私」を押し流している中で
この独白が突如その軸を変えて
意味をなすのかもしれない・・・
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