10日間 12日目(オーバーラン) 〜 日本の歴史 〜
2002年1月9日それでは本日は500年前に起きた
日本における政治の大変革に関して
授業を進めていきたいと思います
歴史的に見てこの時期の日本ほど
衆愚政治の詳細が記録として残っている例は
ほかにあげられないでしょう
1945年に第二次世界大戦に敗れ
GHQの統制により
宗教的・教育的・思想的制限を
不可視の形で付与された日本社会は
その当時言語感覚の相違が文化背景に
どのような影響を及ぼすか
知られていなかったこともあり
きわめて社会構造が拡散・離散していく
方向に向けられていきました
またGHQの統制が特に教育面に関して
徹底せずに大陸合理論的振る舞いが
日本にも自然と発達するとみなしていた点も
大きく日本の政治的崩壊をもたらす
要因となったという見解が
歴史心理学者の一致する見解ともなっています
さて1980年代にアメリカで
元俳優であったレーガン大統領が就任しました
このころから政治とメディアは不可分なものとなり
国家という大システム構造の中で
マスメディアはよりいっそうその影響を強めていきました
アメリカにおいては大統領などのリーダーは
多くのシンクタンクやワーキンググループをかかえて
その中から吟味される政策を決定する役割を担っていましたから
国家の大きな指針を掲げておいても
それを支持する政策や施策の実施に至るまでに
かなり吟味された質の高い戦略を構築するようになっていましたから
方向性の大きな失敗がないかぎり
政治的なアクションは合理的なものとなっていました
もちろんビッグパワーの利害関係がからむものに関してはそうでないケースも多くありましたが
さて戦後新たに民主主義の道を歩み始めた日本
それまで行われてきた政治への民衆の意識は
ながいものに巻かれろという風潮は強く
結局アメリカやヨーロッパで発達してきた
個々人の独自性を尊重する思想的基盤は
決して育まれることはなくて
平安から脈々と受け継がれてきたムラ意識による
コミュニティにおける斉一性に基づく
域内基盤強化型の・・・つまり画一的な
大集団内集団分裂型の利害を調整していく形の
きわめて亜流な民主主義へと発展していきました
経済的に日本は戦後非常に恵まれた
人口構成が若者を中心とする均整のとれたピラミッド型であるうえに
世界的に重化学工業が発展の時期に差し掛かっていたため
第二次産業への経済構造シフトにおいて最大の能力を発揮できる環境にあった
また第一次大戦の反省をふまえて西欧諸国も
日本がドイツの再来とならぬように復興に向けての援助を行った
また日本は戦後のイデオロギー対立における
軍事的負担をあまり持たなくても良い立ち位置に
国際政治上身をおいていた
つまり
経済復興にのみ専念することができました
特に知識集約型の第三次産業化シフトは
高度な研究機関の発達が必要であったが
第二次産業へのシフトにおいては
単純な労働集約で経済成長が見込めたため
高等教育もあまり必要なかった時代でした
戦後の30年間にそのような幸運と
もともと国民性として持っていた勤勉性が功を奏して
日本は瞬く間にアメリカに次ぐ第二の経済大国へと成長していき
しかしこの成功が
日本を政治的崩壊へ導く大きなバックグラウンドになろうとは
日本が栄華を極めたとされる「バブルの時代」に生きていた国民の
いったいどれほどが知っていたでしょうか
とにかく
様々な幸運と保護を受けて
富を蓄積し
そしてそれが
日本国が独自でなしえた成功だと考えていました
そのため
国家体制に関わる様々な要素
生活
教育
思想
政治
そういった無形のものに対して
改善をまったく行ってこなかったのです
バブルの崩壊とともに
日本は苦境に立たされました
(続く)
日本における政治の大変革に関して
授業を進めていきたいと思います
歴史的に見てこの時期の日本ほど
衆愚政治の詳細が記録として残っている例は
ほかにあげられないでしょう
1945年に第二次世界大戦に敗れ
GHQの統制により
宗教的・教育的・思想的制限を
不可視の形で付与された日本社会は
その当時言語感覚の相違が文化背景に
どのような影響を及ぼすか
知られていなかったこともあり
きわめて社会構造が拡散・離散していく
方向に向けられていきました
またGHQの統制が特に教育面に関して
徹底せずに大陸合理論的振る舞いが
日本にも自然と発達するとみなしていた点も
大きく日本の政治的崩壊をもたらす
要因となったという見解が
歴史心理学者の一致する見解ともなっています
さて1980年代にアメリカで
元俳優であったレーガン大統領が就任しました
このころから政治とメディアは不可分なものとなり
国家という大システム構造の中で
マスメディアはよりいっそうその影響を強めていきました
アメリカにおいては大統領などのリーダーは
多くのシンクタンクやワーキンググループをかかえて
その中から吟味される政策を決定する役割を担っていましたから
国家の大きな指針を掲げておいても
それを支持する政策や施策の実施に至るまでに
かなり吟味された質の高い戦略を構築するようになっていましたから
方向性の大きな失敗がないかぎり
政治的なアクションは合理的なものとなっていました
もちろんビッグパワーの利害関係がからむものに関してはそうでないケースも多くありましたが
さて戦後新たに民主主義の道を歩み始めた日本
それまで行われてきた政治への民衆の意識は
ながいものに巻かれろという風潮は強く
結局アメリカやヨーロッパで発達してきた
個々人の独自性を尊重する思想的基盤は
決して育まれることはなくて
平安から脈々と受け継がれてきたムラ意識による
コミュニティにおける斉一性に基づく
域内基盤強化型の・・・つまり画一的な
大集団内集団分裂型の利害を調整していく形の
きわめて亜流な民主主義へと発展していきました
経済的に日本は戦後非常に恵まれた
人口構成が若者を中心とする均整のとれたピラミッド型であるうえに
世界的に重化学工業が発展の時期に差し掛かっていたため
第二次産業への経済構造シフトにおいて最大の能力を発揮できる環境にあった
また第一次大戦の反省をふまえて西欧諸国も
日本がドイツの再来とならぬように復興に向けての援助を行った
また日本は戦後のイデオロギー対立における
軍事的負担をあまり持たなくても良い立ち位置に
国際政治上身をおいていた
つまり
経済復興にのみ専念することができました
特に知識集約型の第三次産業化シフトは
高度な研究機関の発達が必要であったが
第二次産業へのシフトにおいては
単純な労働集約で経済成長が見込めたため
高等教育もあまり必要なかった時代でした
戦後の30年間にそのような幸運と
もともと国民性として持っていた勤勉性が功を奏して
日本は瞬く間にアメリカに次ぐ第二の経済大国へと成長していき
しかしこの成功が
日本を政治的崩壊へ導く大きなバックグラウンドになろうとは
日本が栄華を極めたとされる「バブルの時代」に生きていた国民の
いったいどれほどが知っていたでしょうか
とにかく
様々な幸運と保護を受けて
富を蓄積し
そしてそれが
日本国が独自でなしえた成功だと考えていました
そのため
国家体制に関わる様々な要素
生活
教育
思想
政治
そういった無形のものに対して
改善をまったく行ってこなかったのです
バブルの崩壊とともに
日本は苦境に立たされました
(続く)
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