戦争の記憶
2001年9月16日戦争を知らずに − 僕らは育った
1970年代に生まれた僕の心に
戦争は生きている
戦争を知っている人の実感とは違う
戦争が生きている
広島に生まれ
小学生になるとともに原爆を教えられた
しかし
社会的状況への実感を伴わない幼少期
戦争という言葉は知っていても
実感はこれっぽっちもなかった
小学校の5年か6年か
新聞を読む宿題で
イラン・イラク戦争の爆撃を
新聞の写真で見た
ニュースの言葉を理解しながら見るには
まだまだの時期だった
でもゆっくりと読める新聞でそれを見たとき
戦争の記憶が始まった
フォークランド紛争
戦闘機が空母から離着陸している画面
しかし
なんであんなところで戦いが起こるのか
ただ不思議だった
中学から高校にかけて
まず授業として政治や経済の基礎を学んだ
しかし実生活に基づかないまだまだ
頭の中だけの感覚
世界各地で起こっている
ニュースにも取り上げられない
小さな紛争のことを学んだ
そして被爆地であることの意味合い
そこに生まれ教育を受けてきたことの意味合いに疑問を感じ
答えのない思考の堂々巡りに
悩む夜を過ごすこともあった・・・
湾岸戦争
しかし
画面の向こうの爆撃戦は
ゲームそのものだという
ニュース評論家の言葉に
戦争が現実と仮想現実との混合物という
理性的にはあらがいたい感覚におそわれる
戦争ではないが
東西ドイツの統一
崩れゆく壁の崩壊に
旧体制の敗北を感じ
それに続くように起きた
ソ連邦の崩壊
クーデターの戦車に立ちふさがる
老婆の言葉のテロップ
「息子たちよ
どうかこんな恥知らずなことは
もうやめなさい」
恐れよりもなによりも
母として語りかけるあの老婆の言葉に
涙が止まらなかった
やがて東欧を中心に混沌が続く
それに続いて引き起こされた
各国の内戦
忘れてならないのは
中国の天安門事件
あのころが自分の生活に精一杯で
あまり感慨がなかったものだが
事件の名前がおぼろげにでも
心に浮かんでくる
内戦のリアリズムを与えた記憶
ルワンダの内戦などもあったが
社会人生活に追われ
忘れていた・・・
たまたまその実状を詳しく知る人の
講演を聴き
そのドキュメンタリーを見た
国家権益という隠れた陰謀の実在
それを厳しく解説する人は
公共の電波に出てこないけれど
彼の説明ほど合理的でリアルな話はなかった
そして
実生活に潜む
経済と政治と戦争とのつながりが
実感されていった
カンボジアへの国連軍派遣
自衛隊のPKO活動なども
その間にはあった
それらも複雑に絡みながら
この頭の中に
感覚の歴史的な統合が進んでいっていた・・・
でもいまだつかめぬ
原爆が落ちたとき
先達が得たリアルな感覚
言葉に継承された感情を
鈍磨した神経はつかみあぐねていた
それは
やはりもどかしいものだった
何気ない一日の終わり
いつも見るニュースの画像
そして突如として起きた
高層ビルへの飛行機の追突
唖然として見ていた
やがて
それが
テロリズムであると知るが
テロという言葉では片づかないと
脳の奥底で敏感に感じ取っている
「戦争が・・・始まる
そして、あの突撃は
戦争そのものだ・・・」
感覚が
クリアーになった
人の命が一挙に
人の手で失われること
この危機感
−恐怖の感覚ではない
恐怖は
これから起こるかどうか分からないものに
対して感じるもの
起こってしまったことへの
理解できない超越した感覚は
たんなる不安や恐怖ではない
とぎすまされた危機感
それが
戦争が人を支配する
現実に起こりうる
感情ですら処理しきれない喪失感や
警戒心
今はまだ
戦争ではないが
みなが今感じている
どこか逼迫したようなとぎすまされた感覚
今は「危機」そのものにいる
そして
その「危機」の意識を乗り越えなければ
やがて「危機」に負けた弱い我々は
戦争に飲み込まれていくのだと感じる・・・
これをつづっている私は
逃げない
この神経をすり切れさせるような感覚に
何の根拠もないけれど
祈り続ける
今は
それしかないけれど・・・・
1970年代に生まれた僕の心に
戦争は生きている
戦争を知っている人の実感とは違う
戦争が生きている
広島に生まれ
小学生になるとともに原爆を教えられた
しかし
社会的状況への実感を伴わない幼少期
戦争という言葉は知っていても
実感はこれっぽっちもなかった
小学校の5年か6年か
新聞を読む宿題で
イラン・イラク戦争の爆撃を
新聞の写真で見た
ニュースの言葉を理解しながら見るには
まだまだの時期だった
でもゆっくりと読める新聞でそれを見たとき
戦争の記憶が始まった
フォークランド紛争
戦闘機が空母から離着陸している画面
しかし
なんであんなところで戦いが起こるのか
ただ不思議だった
中学から高校にかけて
まず授業として政治や経済の基礎を学んだ
しかし実生活に基づかないまだまだ
頭の中だけの感覚
世界各地で起こっている
ニュースにも取り上げられない
小さな紛争のことを学んだ
そして被爆地であることの意味合い
そこに生まれ教育を受けてきたことの意味合いに疑問を感じ
答えのない思考の堂々巡りに
悩む夜を過ごすこともあった・・・
湾岸戦争
しかし
画面の向こうの爆撃戦は
ゲームそのものだという
ニュース評論家の言葉に
戦争が現実と仮想現実との混合物という
理性的にはあらがいたい感覚におそわれる
戦争ではないが
東西ドイツの統一
崩れゆく壁の崩壊に
旧体制の敗北を感じ
それに続くように起きた
ソ連邦の崩壊
クーデターの戦車に立ちふさがる
老婆の言葉のテロップ
「息子たちよ
どうかこんな恥知らずなことは
もうやめなさい」
恐れよりもなによりも
母として語りかけるあの老婆の言葉に
涙が止まらなかった
やがて東欧を中心に混沌が続く
それに続いて引き起こされた
各国の内戦
忘れてならないのは
中国の天安門事件
あのころが自分の生活に精一杯で
あまり感慨がなかったものだが
事件の名前がおぼろげにでも
心に浮かんでくる
内戦のリアリズムを与えた記憶
ルワンダの内戦などもあったが
社会人生活に追われ
忘れていた・・・
たまたまその実状を詳しく知る人の
講演を聴き
そのドキュメンタリーを見た
国家権益という隠れた陰謀の実在
それを厳しく解説する人は
公共の電波に出てこないけれど
彼の説明ほど合理的でリアルな話はなかった
そして
実生活に潜む
経済と政治と戦争とのつながりが
実感されていった
カンボジアへの国連軍派遣
自衛隊のPKO活動なども
その間にはあった
それらも複雑に絡みながら
この頭の中に
感覚の歴史的な統合が進んでいっていた・・・
でもいまだつかめぬ
原爆が落ちたとき
先達が得たリアルな感覚
言葉に継承された感情を
鈍磨した神経はつかみあぐねていた
それは
やはりもどかしいものだった
何気ない一日の終わり
いつも見るニュースの画像
そして突如として起きた
高層ビルへの飛行機の追突
唖然として見ていた
やがて
それが
テロリズムであると知るが
テロという言葉では片づかないと
脳の奥底で敏感に感じ取っている
「戦争が・・・始まる
そして、あの突撃は
戦争そのものだ・・・」
感覚が
クリアーになった
人の命が一挙に
人の手で失われること
この危機感
−恐怖の感覚ではない
恐怖は
これから起こるかどうか分からないものに
対して感じるもの
起こってしまったことへの
理解できない超越した感覚は
たんなる不安や恐怖ではない
とぎすまされた危機感
それが
戦争が人を支配する
現実に起こりうる
感情ですら処理しきれない喪失感や
警戒心
今はまだ
戦争ではないが
みなが今感じている
どこか逼迫したようなとぎすまされた感覚
今は「危機」そのものにいる
そして
その「危機」の意識を乗り越えなければ
やがて「危機」に負けた弱い我々は
戦争に飲み込まれていくのだと感じる・・・
これをつづっている私は
逃げない
この神経をすり切れさせるような感覚に
何の根拠もないけれど
祈り続ける
今は
それしかないけれど・・・・
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