正義の名の下に
審判が下された

人間は人間を裁く
そのとき
彼らは自分たちが神になると考えていたのか・・・
太陽が降ってきた土地の人々は
自分たちが負けないと言う盲信に
気づかないでいた傲慢さをとがめられたのか
自分自身たちの行動を省みて
おかしなことを明言しなかった弱さをとがめられたのか
それとも相手を出し抜くための努力を
怠って無知なまま競争に参加したことをとがめられたのか

彼らのすみかに
太陽は落とされた

キリスト教の教えでは
キリストは
人間の罪を一身に背負って
犠牲になることで
神に近づいたという

だとしたら
もし神がいるならば
きっと
太陽が落ちた場所で命を失った人々を
神の住む場所の近くにつれていったはずだ

言葉を強制的に奪われて
おかしいと思いながらも
なんとか生き抜いた人々の
魂であるならば
なおさら
神様の近くにつれていって欲しい

人間は
いつの時代でも
生け贄を必要とするのだろうか

どうか
太陽の炎に焼かれていった
先人たち
もし
私たちが
過去を繰り返すために
また生け贄を求めているならば
どうか
不吉な予兆を示して
教えて欲しい

そして気づかせて欲しい

さもなくば
私たちは
またあなたたちと同じような
私たちを作り出して
人類がどんなにおろかなのかを
歴史に刻み直すだけになるだろう・・・

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